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小さなことに気づいてみる

10月も半ばに差し掛かって来ましたね。京都では空もすっかり秋の雲を浮かべていて、黄色く熟した銀杏も見かけるようになりました。

今月の初旬までは台風が来ていましたが、その後は日に日に秋が深まっていくのを感じます。

そんなことを感じていた昨日、立ち寄った本屋さんで二十四節気、七十二侯の言葉が目に飛び込んで来ました。これらは1年間をそれぞれ24、72の季節に分けたものです。

気になって調べてみたところ、今日を含めた10/8-10/22は「寒露」という節気になり、草木に冷たい露が降りはじめるタイミングとのことでした。確かにここ1, 2週間の朝夕は肌寒いので朝早く出かけるときは僕も着込んで外出しています。

こういった言葉の意味を調べてみると、現代では秋という言葉で一括りにされてしまう季節の中に実はこれだけの感性とそれを表現する言葉があったことを再認識させられました。


季節だけに限らず、普段私たちはシンプルでわかりやすい言葉をつかいがちです。

身体において例えば「腕をあげる」という動作を考えてみても

指先まで神経の通った細やかな上げ方から、凝り固まった肩を一生懸命あげようと努力している上げ方まで、全て「腕を上げる」という表現で表すことができます。

しかしシンプルでわかりやすい表現では、そこで起きている微妙なニュアンスや機微を取りこぼしてしまったり、1つの表現によって、その動作が実は多様であることを忘れてしまいがちです。


単純な動きを1つとってみても、そこには実に様々な情報、動かし方があるんですね。

昔の人が丁寧に季節の移り変わりを捉えて、表現したように、僕たちも丁寧に身体に向きあう中で小さくても確かに感じられる発見をすることが出来ます。

日々の暮らしが忙しいと忘れがちですが、そんな丁寧さを大切にしていきたいですね。


季節も身体も細やかに感じ取っていきたいですね。

写真は鴨川で撮ったアキノノゲシ